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    最初の朝鮮語(ハングル)新聞が発行されたのは釜山

    • 2019.02.21 Thursday
    • 12:47

    最初に朝鮮語(ハングル)で作られた新聞は漢城周報(かんじょうしゅうほう)であると

    いう説が多い。

    漢城周報は、明治19年(1886)1月25日に創刊された朝鮮の週刊の新聞で、漢文、

    漢字ハングル交り文、ハングルだけの文の3種類が使われたようだ。

     

    漢城周報よりも5年早い明治14年(1881)に表は日本語、裏はハングルという新聞の

    発行があったという記事を下記の引用先で見ることができる。

    新聞のタイトル等 詳細は不明だが 最初のハングル新聞は釜山で出版されたようだ。

    天野皎(あまの あきら)は,明治11年(1878)神戸師範学校校長の職を突然辞任し、

    明治13年(1880)大阪商業会議所に入所して書記になり、釜山に赴任した。


    教育界のエリートコースから突然の辞任理由や動機にいろいろな憶測が書かれている。

     

    釜山の商業会議所組織の確立をするために出向いたのであるが、最初のハングル新聞を

    作りたいという理由も大きな要因であったと私は推測している。
    日韓交流史の陰に隠れている「天野皎が最初の朝鮮語新聞を釜山で発行した」事を

    表舞台に出したいと願っている。

    この話題が検証されたり、議論のタネになる事を期待している。 

     

    残念なことにハングル新聞は長続きはしていないようだ。

     

    釜山に赴任して半年後に商業会議所発行の商況新報に対馬商人の記事を天野皎が寄稿した

    事に怒った對州旧士(岩村久次郎)が釜山商業会議所を襲撃、天野皎はこれを撃退したが

    負傷し、帰国することになったようである。

    ---------------------------引用開始------------------------------------
    ・明治14年(1881)2月7日 石川新聞
    天野皎日朝二ケ国語新聞発行神戸師範学校の校長たりし天野皎氏は先頃朝鮮国へ

    赴かれしが 今度同地に於いて協同商会と謀り、表面は日本文字、裏面は朝鮮語に

    記したる一の新聞紙を発行し、毎月五回ずつ無代価にて刷り出さるる由。

    引用先「明治ニュース事典」第二巻 1984年7月1日第三版発行 443頁
     発行所 株式会社 毎日コミュニケーションズ
    -------------------------引用終わり------------------------------------

     

    天野皎が新聞を発行した協同商会の跡地は 明治15年百二国立銀行釜山支店になり、

    明治22年 百二銀行が十八銀行に吸収され十八銀行釜山支店となった。

    昭和11年 十八銀行は朝鮮半島すべての支店を朝鮮殖産銀行に営業譲渡し撤退した。

    殖産銀行釜山支店は大廳町にあるので建物は信託銀行やその他テナントに貸していた。

    昭和20年敗戦で日本人はすべての資産を残して帰国

    現在はウリ銀行の建物が建っている。

    旧住所:釜山府本町一丁目7番地

    法定洞:釜山廣域市中區東光洞1街7

    現住所:釜山廣域市中區光復路97番キル11

    ウリ銀行

    2008/11/15撮影

     

     

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